教員という職業を考え、自由な人生を考える。

パニック障害を患って休職した教員が、今までの人生を振り返り、そしてこれからの人生を考えるブログ。自由な人生とは何か。幸せとは何か。

私が休職になった理由④ 〜ある日、急に起きれなくなった〜

こんにちは、みほです( ´ ` )

 

たくさん昼寝しすぎて、眠り姫になりそうです。

 

 

さて、今日はこの前からの続き、

薬飲みながら働いていたけど、

休むようになったしまったことを書こうと思います。

 

 

中3担任、体育科、生徒会担当として

勝手にプレッシャーを抱え込み、運動会を控え、

8月下旬から夜中に目が覚めるようになってしまった。

 

眠れないから、頭が働かない。

そんな日々をなんとか乗り越えたが、

運動会が終わっても、夜中に目が覚める日が続く。

(詳しくは前の記事「私が休職になった理由①」を見てください^ - ^

 

 

そして、文化祭、合唱コンクール

ますます大きな負担で眠れない日が

これで約1ヶ月になり、

心療内科に行くことを決意した。

(詳しくは前の記事「私が休職になった理由②」を見てください^ - ^

 

 

初めての心療内科では

いろんなことを聞かれました。

そして、薬をもらい、

薬をもらいながら働くこととなりました。

(詳しくは前の記事「私が休職になった理由③」を見てください^ - ^

 

 

 

 

2回目に処方された薬の量が強いように感じて

心療内科に電話で相談したら、

その電話代金も次の診療でお金を取られるという仕組み。

儲けてますね・・・

 

 

今振り返るとなぜ休むようになったかというはっきりとした理由は

正直わからない。

急に起き上がれなくなったのだ。

 

けれど、その時の状況を

とりあえず、覚えていることを書こうと思う。

 

 

まず、休む数日前から、朝のルーティンが崩れた。

 

4月から、

5時半に起きて、

旦那の弁当作って、

朝ごはん作って食べて、

6時半には出ていたのに

 

弁当を作る気力がなくなり、

 

次は朝ごはんを作る気力がなくなり、

 

6時過ぎに何とか起きて、

5分で最低限の身支度をして、

家を出るという日が数日続いた。

 

 

そして、合唱コンクールは11月頭。

10月末になっても男子は歌わない。

というか、歌えない。

 

この子らとは3年間一緒にやってきて、

毎年そんな感じで

一生懸命歌うような男子は全部他のクラスに行っちゃって

うちのクラスは恥ずかしがり屋ばかり集まってた。

 

そんなのもわかった上でやっぱり歌えるようになって欲しかったし

毎日話をした。

 

副担任の男の先生にも協力してもらって、

一緒に輪に入ってパート練とかするんだけど、

 

その先生も50歳くらいなんだけど、

一緒に歌うだけで、男子に話とかしてくれなかった。

 

ベテランだったらさ、

こういう時もっと諭してくれたりとかしてくれると思ったのに。

期待してた先生だった分、なんかショックだった。

 

あーやっぱ自分の何とかしたい思いって

学年の他の先生には伝わってないんだって。

 

 

放課後のクラスでの合唱練習が苦でしょうがなかった。

 

 

そんな中、午後から出張が2日間続いて、

放課後練習を2日間見れなかった。

 

 

「逃げられる」って思ってしまった。

 

 

プラス、2日連続の2日目の出張が

この出張なくてもよくない?ってくらい中身のない出張で

各学校にメールで連絡くらいでいいレベル。

教育委員会にもうんざりした。

 

 

 

この時、なんか少し冷めてしまったんだよね。

 

 

 

そして、次の日の朝、起きれなかった。

目が覚めた瞬間

「行けない」って思った。

 

夫に「行きたくない」って言ったら

「行かなくていい」ってあっさり言ってくれた。

自分で学校に体調が悪いので休みますと電話できた。

 

 

この日は金曜日だったから

土日も休んで月曜からまたって思ったけど、

もう何もかも嫌だった。

 

 

続く。

 

次は学校休んでそのあとどう過ごしたか。

 

 

 

それでは、また~!d( ̄  ̄)

 

 

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