教員という職業を考え、自由な人生を考える。

パニック障害を患って休職した教員が、今までの人生を振り返り、そしてこれからの人生を考えるブログ。自由な人生とは何か。幸せとは何か。

第1回診断名がくだる

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プール事件から1ヶ月後に起きた自宅での過呼吸

めちゃくちゃ苦しかった。

でも原因がわからない。

しばらく、好きなホルモン焼きもオレンジジュースも

怖くて食べられなくなった。

 

過呼吸再発生の後、疲れて意外とすぐに眠れたが、

次の日、起きた瞬間から心臓がバクバク。

 

起きて居間に行くけど、辛くて座っていられなかった。

ぼーっと寝っ転がっている私をみて、両親が私を病院に連れて行く。

たまたまいつも行く内科に精神科もあった。

 

病院の待合室でも、座っていられなくて、寝転がる。

するとベッドに移され、問診される。

意外と状況は普通に話すことができた。

 

そこで診断されたのは

 

PTSD

 

プール事件で怖い思いをしたから、そのフラッシュバックとかで

今も過呼吸とかが起こるんだよって言われた。

 

お医者さんはおじいちゃんで

大丈夫だよーと和やかに話してくれた。

 

薬をもらって帰宅。

 

「とりあえず、自分はPTSDというものなんだ。」

 

病名?がはっきりしただけでだいぶ楽になった。

 

でも、また、過呼吸が起こったらどうしよう。

その漠然とした不安は消えない。

ビクビクしながら生活を送る。

この日から小さなストレスが積もり積もって

今の私になっているのだと思う。

 

もともと心配性だけれども、

さらに拍車がかかった。

 

続く。

 

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もう生きていけない 〜パニック障害になったきっかけ④〜

2014年6月にプール事件が起こり、

 

その後からさまざまなパニック発作が出始める。

 

 

 

手足が冷たくなる

 

喉の違和感

 

呼吸がうまくできない

 

動悸

 

突然の不安感

 

閉所恐怖

 

また起こるのではないかという不安感

 

 

 

 

軽い発作はほぼ毎日起こった。

 

 

 

 

 

そして、1ヶ月後の7月。夏休み入りたての頃。

 

再びまたあの恐怖が襲う。

 

 

 

7月25日。この日は1日、県の教育センターで研修。

 

車の運転は窓を開け、乗り切ることを覚えているので大丈夫。

 

 

しかし、いつもにない喉の渇き。

 

ペットボトルのお茶を買う。

 

変だなと思うけれども、夏だし、暑いし。当たり前のことと思う。

 

 

 

ただ、人が多い研修だったので、あのぎゅうぎゅう感が少し不快。

 

なるべく隅の方にいたい。

 

 

 

 

 

 

 

なんとか1日終わり、家に帰宅。

 

 

今日は家族でホルモンバーベキュー。

(家の裏で夏になるとよくやるんです。)

 

ちょっといいオレンジジュースを買ってきて、食す。

 

 

 

 

「あ~、夏休みって最高( ´∀`)

 

 

 

 

と思いながら、ベンチで寝転がる。リラックス。

 

 

 

 

 

 

バーベキューも終わり、珍しく洗い物をする。

 

 

 

 

 

洗い物を終えると、なんだか呼吸が苦しい。吸えない。

 

 

 

 

 

 

冷たいお茶を飲むが苦しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過呼吸、再発生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両親がそばにいてくれる。でも、苦しい。

 

背中をさすってくれる。でも、苦しい。

 

手を握ってくれる。でも、苦しい。

 

救急車呼んでほしい・・・

 

何も考えるな・・・

 

 

 

 

 

 

と思っているうちに、10分くらいたち、過呼吸はおさまった。

 

 

 

 

 

 

 

死ぬかと思った。

 

なんで過呼吸になったんだろう。

 

バーベキューの煙?

 

ホルモン?

 

オレンジジュース?

 

全部好きな食べ物なのに・・・。

 

 

洗い物の洗剤?

 

近くにハイターがあったから?

 

わからない。

 

 

 

 

 

一番ショックだったのは、

 

一番安心できる自宅で起きたということ。

 

 

 

 

 

 

じゃ、自分はどこにいればいいんだ。

 

 

 

 

 

もう怖くて生きていけない。

 

 

 

 

 

過呼吸のなごりはあるものの疲れのため、眠る。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

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さまざまなパニック発作 〜パニック障害になったきっかけ③〜

2014年6月、プール事件からの私のパニック障害

 

 

プール事件については前々回の記事を見てください。)

 

 

 

次の日以降もさまざまな発作が私を苦しめる。

 

 

 

私は部活後に職員室に残るのが好きではないので、

 

朝6時過ぎに学校に行って静かな中、仕事をする。

 

誰もいない職員室。

 

 

 

 

「もし今また過呼吸になったらどうしよう。

 

 

 

 

あの家の人に助けてもらおうか。あのコンビニまで行こうか。」

 

と頭によぎる。

 

 

 

 

 

 

 

体育館で前のクラスの授業が終わり、次のクラスが来るのを待つ休み時間。

 

一瞬静かになる体育館。

 

 

 

 

 

「今、過呼吸が起きたらどうしよう。」

 

 

「もし、またあの過呼吸が起きたらどうしよう。」

 

 

 

 

 

 

と、不安になる瞬間が1日に何回も起きた。

 

 

 

 

 

 

 

教室での給食指導のとき、喉が締め付けられるような感じがして、

 

ご飯やパンをうまく飲み込めなくて、牛乳で流し込む。

 

 

 

 

 

「今ここで喉が詰まったらどうしよう。」

 

 

 

 

なんとなく喉が詰まっている感覚。

 

苦しいんだけど、どうにもならない。

 

我慢するしかない。もしくは喉に意識をやらないようにするしかない。

 

 

 

 

 

 

 

朝の通勤は意外と平気だけど、学校からの帰り道。

 

 

 

「車で窓を閉めきるのが怖い。」

 

 

 

少し空いていると落ち着く。

 

 

 

 

 

 

 

家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入る。

 

 

 

 

「お風呂から早く出たい。なんかあったらどうしよう。」

 

 

 

 

この時は結婚前で実家だったので、家に帰れば、父、母、祖父がいた。

 

私の家は古い家で、お風呂は一番奥にあって、少し離れているので、

 

昔からお風呂=怖い場所というのが少し頭にはあって、

 

小学生の頃は、脱衣所にお母さんがいてもらわないとお風呂に入れないくらい恐怖症。笑

 

 

 

 

そして、今回の件でさらに恐怖感が増す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、プール事件後の発作などをまとめると・・・

 

 

 

・一人になった時に「もし○○な状況になったらどうしよう」という不安感が突如表れる。(1日に何回も)

 

・喉が詰まったような感覚に襲われる。(ほぼずっと)

 

・閉めきった場所(車、風呂など)が怖い。

 

 

 

 

 

 

 

というのが、寝ている時以外ずっと続く。

 

 

 

今、こうやって書いていると、

 

 

「この時はつらかったなー」

 

 

「これは精神的に病むわ。笑」

 

 

と思う。

 

 

 

 

今はこの発作はだいぶなくなったので、客観的に見ることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


これはまだ序の口。まだまだ続きます・・・

 

 

 

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次の日の話 〜パニック障害になったきっかけ②〜

2014年6月、プール事件がきっかけでパニック障害になった。

 

 

プール事件については前回の記事をお読みください)

 

パニック障害になったきっかけ

 

 

 

 

 

今日はその次の日の話。

 

プール事件当日はゆっくりと休養しながらも

 

 

 

「こんなにゆっくりと過ごしたのどれだけぶりだろう・・・」

と思った。

 

 

 

この時はそれなりに強かったみたいで

 

次の日は車は学校に置いたままだったので、

 

父親に学校まで送ってもらって学校に行った。

 

 

 

朝、普通に職員室で仕事をしていると、

 

普段あまり喋らない40代の先生から声をかけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

まさかこの後、事件後初めてのパニック発作におそわれるとは知らずに・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段あまり喋らない40代の先生

「昨日の、大丈夫だった?うちの主人、理科の先生なんだけど

昨日のみほさんの話したら、下手したら死ぬこともあるんじゃないか。

って言ってたよー。大丈夫みたいで良かったー。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・『死ぬ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この言葉が昨日の事件をフラッシュバックさせた。

 

 

 

 

 

 

 

職員室で立っていられなくなった。

 

 

 

 

呼吸が苦しい。

 

 

 

 

 

「でも、クラスの朝自習見に行かなくちゃ・・・」

 

 

 

 

 

その状態にいち早く気づいてくれた新採の後輩くん

 

 

後輩くん「大丈夫ですか?代わりに俺行きますか?」

 

私「大丈夫」

 

 

 

でも心配してくれて、後ろからついてきてくれた後輩くん。

 

 

 

教室は3階だったんだけど、登れば登るほど、胸、頭が締め付けられる。

 

 

 

 

 

 

「子どもの前では元気にしなきゃ」

 

 

 

 

 

そう思って教室には入るんだけど、

 

 

 

教卓で前見て立てなくて、椅子に座り込んでしまう。

 

 

 

 

 

「苦しい・・・」

 

 

 

 

 

後輩くんは最後までついてきていたみたいで、私のそんな様子を見て

 

 

後輩くん「代わりますよ」

 

 

私は教室から出て、廊下でしゃがみこむ。息を必死で整える。

 

 

 

 

 

 

 

「生徒や他の先生に迷惑かけちゃいけない」

 

 

 

 

 

 

私はなぜかそんなふうに一番に考えてた。

 

 

 

今思えば、もう少し周りに頼ることができる性格だったら、

 

今こうして休職しなくてもすんだのかなーって思う。

 

 

 

 

 

 

そして、今更気づいてごめんだけど、

 

この後輩くん、いろいろ問題児扱いされてるんだけど笑

 

私はあんまりそう思わなくて

 

新採で今ドキの子ならではの感性があって、鋭くて、

 

むしろ助けられることが多くて

 

 

 

 

 

今回の件も『気づいてくれた唯一の人』

 

 

 

 

 

 

本当に感謝しなければなー。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、私のパニック障害の症状は、まだまだ続く・・・

 

 

 

 

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プール事件 〜パニック障害になったきっかけ①〜

なぜ私がパニック障害になったのか。

 

 

 

2014年6月。4月からほぼ休みなく働き、学校で水泳が始まる時期。

 

 

 

 

 

 

この学校に来て初めてプールのろ過機、塩素注入機を触るので、

 

前年度までのこの学校の体育の先生に来て頂いて、

 

もう一人の体育の先生と一緒に機械の扱い方を教えてもらった。

 

 

 

そして次の日の朝一番、一人で、教えてもらった通りに機械室で塩素注入機に塩素を入れる。

 

 

 

 

 

すると、なぜか悪臭が漂ってきた。

 

 

 

 

 

すぐに機械室から出ればいいものの、

 

 

 

 

 

「なんで昨日はうまくいったのに、どうして?」

 

 

 

 

「ここを触ればいいんだっけ?」

 

 

 

 

としばらくそこにいてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「もう限界・・・」

 

 

 

 

 

というところで機械室から出る。

 

 

 

 

呼吸がヒューヒューいう。

 

 

 

 

心臓がやたらばくばくする。

 

 

 

 

 

 

なんとか歩いて、意識朦朧としたまま職員室に行く。

 

もう一人の体育の先生に、状況を伝え、言い終わったら、

 

 

 

 

 

 

力が抜けて過呼吸。人生初。

 

 

 

 

 

 

保健室に運ばれ、学校医に連絡してもらい、状況を伝えてもらいながら待機。

 

私は人生初の過呼吸

 

 

 

 

 

「死んでしまうんじゃないか」

 

 

「新聞のお悔み欄に28歳で載っちゃう」今思うとなんか余裕あるな笑

 

 

 

なんて考えながら、必死に耐える。

 

 

 

 

 

学校医からは塩素中毒だろうということで、

 

しばらく空気のいいところで安静にしていれば大丈夫ということなので、

 

しばらくそのまま待機。過呼吸もおさまってきた。

 

 

 

 

手のしびれはあるものの、学校医が大丈夫というので、

 

事務の先生に家まで送ってもらい、一日安静。

 

 

 

しかし、家に帰っても猫以外誰もいない。

 

 

 

 

 

一人でいるのが不安。

 

 

 

 

また過呼吸が起こったらどうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

この日から私の苦悩は始まる。続く。

 

 

 

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休職中の教員のプロフィール

30歳、女。夫がいます。

とある田舎に住んでいます。

 

 

公立中学校の保健体育の教師です。

そんな職業にもかかわらず、人見知り、内向的です。笑

 

そして、体育教師あるあるなんですけど

 

「専門のスポーツは?」とよく聞かれるのですが、

 

 

私は「ありません」

 

 

飽き性なんです。笑

 

 

 

好きなことは風呂上がりにアイスを食べること。冬でも食べます。

あとは、読書。最近読んだ星野源の「そして生活はつづく」が面白かったです。

 

 

 

物心ついた頃から水泳を始め

 

中学で奇跡に近い形で全国大会に出場

 

目標を達成したので、水泳をやめ

 

 

 

高校では中学校で休み時間にやりまくったバレーボール部に入部

 

 

スポーツが好きだったので

 

一般入試で某私立体育大に入学し(国立は残念な結果でした)

 

体育大での部活に入る勇気がなく、

 

バイトに明け暮れる大学生活を送っていました。

 

 

教員採用試験を受けるが、就活も人生経験としてやっておきたいと思い

スポーツクラブの就活もしました。

 

 

 

結果、関東の公立中高保健体育教師とスポーツクラブ2社受かり

(地元の教員採用試験はこの時ダメでした)

 

 

 

企業を経験してから教員になった方がかっこいいなと思ったのですが

 

せっかく受かったから精神で、教員の道に入りました。

 

 

 

関東の公立中学校で4年間働き、

 

地元の教員採用試験で経験者枠で受験、合格し、

 

ただいま地元で4年目になります。

 

 

 

 

 

 

しかし、今パニック障害で休職中です。

 

 

 

 

 

 

なぜ、パニック障害になったのかと言うと

 

 

 

 

「ある事件」がきっかけ、

そして、教師という職業の日々の多忙さ

 

 

が原因だと思います。

 

 

 

 

「ある事件」や、休職したきっかけはまた今度詳しく書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

教員生活8年目、休職した今、

今までよくやってきたなぁ、もう戻れないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、休職中ののんびりした中、

自分の生き方について考える時間がやっとできました。

 

 

 

 

今までは、朝仕事に行って、夜帰ってくるのが当たり前だったけど

 

 

 

 

自分の中の当たり前って、すごくちっちゃいことなんだって気づいた。

 

 

 

 

当たり前なんて存在しない。

 

 

 

 

もっと自由でいいんだって思えた。

 

 

 

 

他人のために生きるんじゃなくて、

 

自分が幸せだと思う生き方をしようって思った。

 

 

 

 

今からそれを探していこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸い、夫は理解のある人で、

 

 

「仕事辞めてもいいよ」

 

 

と言ってくれます。笑

 

 

 

 

 

でも、夫の稼ぎで自分の欲しいものを買うのは嫌なので、そこは自立したいです。

 

 

 

なんだかプロフィールから脱線したような気がしますが、

 

 

こんな考え方の私です。

 

 

 

 

 

 

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はじめまして

こんばんは。たまごです!

 

私の職業は中学校の先生です。

しかし、今少ししんどいです。

 

理由はいろいろありますが、その一つとして、自分がことばで表現するのが苦手ということがあります。

 

それを克服すること、「あ、こんな先生もいるんだ」って思ってくれたらいいなぁと。

 

 

中学3年生の担任。運動部の顧問しています。教科は小規模校のため、教科外も教えています。

 

もうすぐ文化祭、合唱コンクール

 

 

 

 

 

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